日本の約半数の子どもたちが自分自身に自信を持てないことが明らかになる一方、学校教育においては「新しい学力観」が提唱され、テストの点数だけでなく、生徒の学ぶ「意欲」「関心」の評価が重視されるようになり、個人の「特性」を伸ばす教育の実践と評価が主流となってきています。しかし、こうした特性の見極めは容易ではなく、また、その評価の多くが先生個人の主観的裁量に任せられていることも「子どもたちのための」評価を実現する上で、大きな課題となっているのが現状です。
今回のオンラインセミナーでは、子どもたちの多様性を見極め、「個」を伸ばすためにはどのような視点を持ち、どのような環境や声掛けが必要なのか、突出した“「個」を伸ばすサッカー”を掲げて育成を行ってきたサッカー指導の第一人者や教科指導・部活指導のエキスパートによる観点から、それぞれの実践や経験についてお話しいただきました。
テーマ1:生徒の特性を生かした「見えない学力」を伸ばす教育とその評価
【パネリスト】
長谷川大先生(山梨学院高等学校 サッカー部 監督)
井上志音先生(灘中学校・灘高等学校 国語科教諭)
髙橋一也先生(神田外語大学 客員講師、IGS株式会社 研究員)
パネル・ディスカッションの様子:画面左から髙橋一也先生、長谷川大先生、井上志音先生
失敗を重ねることが成功につながる
髙橋 非認知能力の重要性が指摘されている中、目に見えない力が一番試されるのは失敗した時ではないかと思います。失敗した時に立ち直る力について、どのようにお考えになりますか。
井上 小学校でトップレベルの学力を有し、中学入試のいわゆる知識や思考力といった領域で成果を出した灘中生も、一学年に180名いますから、入学後は1番から180番まで生まれてしまい、そこで挫折を体験するわけです。一方、学年のペーパーテストで10番目や20番目の成績上位陣の子どもたちにしても、「上には上がいる」ことを知って挫折することになります。このように、目に見えない力を身に付ける背景には、学力で勝てないのであれば、「自分はどういうところで勝負していくのか」という失敗体験があると考えています。
基本的に教員としては、生徒の成長の邪魔をしないように伴走することを心掛けていますが、一番大事なのは、「せる」「させる」という言葉を使わないことだと考えています。「立ち直ら“せる”」「伸ば“させる”」といった言葉をできるだけ使わないように指導していくのが大切です。ただ、どんな能力が世の中で求められているかという選択肢が頭の中になければ、生徒も道の探しようがありません。「Ai GROW」は、その選択肢を実社会とのつながりのなかで示してくれるツールであると思います。
長谷川 本校のサッカー部も優遇されて入って来るエリートというような子どもが多いのも事実です。しかし、重要なのは自分でチャレンジして必死になってもがいて出す結果であり、それが生徒の糧になっていくと思います。ただ、例えば、指導者に「ああやれ」「こうやれ」と言われてできたことは、彼らが本当に自分の力で生み出したものかと言われると、もしかしたら違うのではないかと思うようになってきました。一所懸命取り組む“エリート”の子どもたちの背中を押してあげられるような引き出しを指導者が持っていなければいけないと思っています。
サッカーには「失敗するスポーツ」という特性があります。成功よりも明らかに失敗の数が多い中で、わずかな成功が評価されるようなスポーツですから、失敗に対するメンタルの持っていき方を知っていないと非常に難しい。私は「失敗=チャレンジの数」だと思っており、生徒にも失敗を重ねることが成功につながるという感覚を持ってほしいと考えています。
じっくり時間をかけて待つのが大事
髙橋 少し視点を変えて、子どもたちの非認知能力の成長のために教師や保護者が実際にどういうことができるかという話をしたいと思いますが、子どもはいつ伸びるか分からず、われわれには「待つ力」も必要になりますよね。一方、指導者や教師は待てない、どうしても教えたがるという現実があります。
長谷川 サッカーの場合、毎日の練習が一つの小テストみたいなもの。それをクリアできないと当然、大きいテストに向かっていけません。しかし、小テストの結果を求め過ぎると、1カ月か2カ月、あるいは、半年経ったら大きく伸びる可能性のある生徒が、一つの小テストによって脱落していくこともありえます。目前の大会で優勝するために、彼らの成長よりも目先の目標を優先するようなところも出てきてしまいますが、求められる結果と生徒の成長を天秤にかけた時に、求める結果の方に重点が置かれ過ぎてしまうのは問題だと思います。
井上 教員としては、やはり、何か課題を見つけると、「じゃあこうしたらいいんじゃないか」などと、どうしてもすぐに助言したくなります。しかし、自分で課題に向き合い乗り越えるという具体的な体験を重ね、普遍化していく力こそ重要です。すぐに助言するのではなく、生徒が具体的な体験を抽象化したり概念化したりしながら解決策を導き、自分で行動に移せるようになるまで、じっくりと時間をかけて待つということが大事だと考えています。生徒と教員との関係性は一部に過ぎなくて、それよりも圧倒的な広がりとして、上級生・下級生も含めた生徒間のつながりというものがあります。ですから、教員が何かしなくてはいけないということにこだわり過ぎないようにはしています。
髙橋 生徒は色々な個性を持っていて、それがいつどの場面で上手く作動するかは分かりませんから、状況を見てうまく助言したり伴走したりして、生徒自身が自分で動けるようになるのを待ってあげるのがすごく重要になりますね。ただ、やはり、その待つということは相当に難しい。
長谷川 指導者であるわれわれも生きていくためには結果を求められ、待ってもらえない時もあります。しかし、育成や教育の中心は、やはり、生徒であると思いますから、大人の事情に生徒を巻き込んでしまうのはおかしいですよね。そこはぶれずにいきたい。自分が過去に教えた選手で、今、日本代表で活躍している伊東純也という選手がいます。彼は、本当に足が速くて、素晴らしい能力の持ち主ですが、当時は足りないものも非常に多かった。そこだけを評価すると物足りないが、5年後あるいは10年後に足りないものを身に付けていったときに、とてつもない選手になるんじゃないかと考えていました。それが今、証明されてきているわけで、指導者として非常にうれしく感じていますし、時間が解決することもあるという証拠かと思っています。
強みを磨くことこそ一番重要な指導
髙橋 待つ教育は、非常に深いですね。内に秘めているものを導き出すのがeducationであり、教え込むことではありません。それができる指導者や教師とはどのような先生だと思いますか。
井上 本校の教員は基本的に中高6年間の持ち上がりで学年を受け持ちますが、自分が担任をする1年間や中高6年間、それぞれのスパンでしっかり責任をもって仕事をする先生が多いです。ただそうは言っても、持ち場主義的に責任を負うということではなくて、すごい先生というのは、たとえその期間に結果が出なくても、卒業から10年後か20年後か分からないが、花開くことがあるということを強い信念として持ちながら仕事にあたっています。担当から離れたら終わり、卒業したら終わりではなく、卒業後のことまで考えて教育されているのは、やはり、すごいなぁと思います。私はまだ中高6年間の1サイクルを受け持った経験しかありませんけれども、学内には何サイクルも経験されている先生がたくさんいらっしゃって、そういうところで経験値の差を感じることは少なくありません。
長谷川 私は自分の体験を通してでしか教えていくことはできないと思っています。失敗経験はいつか成功するときの自分のためのものだと考えているのですが、これは私の恩師の「たくさん失敗してもいいから頑張ってやっていけよ」という教えを身をもって実際に経験してきたからこそ、そう考え、伝えられるようになったんです。昨年度、「全国高校サッカー選手権大会」で優勝できたのも、一番大きな成功のためにたくさんの失敗があるということを教えてくれた恩師のおかげでもあると思っています。
髙橋 良い先生やコーチが集まり、ともに働いて子どもたちを育てるということが非常に重要かと思いますが、井上先生が感じる灘校の強さを象徴するようなカルチャーはありますか。
井上 灘校は一般的に「お勉強の学校」というイメージが強いと思いますが、生徒たちは、学力は one of them に過ぎないと思っているようです。成績が下位の生徒でも何らかの強みを持っていると周りから認められているし、成績が悪いということ自体で居心地が悪くなる学校ではないというところが、灘校の良さではないかと考えています。
髙橋 長谷川先生は、強いサッカーチームの特長としてどんなことが挙げられますか。
長谷川 私は、多様性を持っていることが強いチームや組織の特長だと思っています。実際、日々の指導でも個々の弱みを補うのではなく、強みを磨くことを重視しています。強みは当然、生徒によって異なりますから、それぞれの強みを磨いていけば必然的に多様性のあるチームになっていくわけです。生徒と同じように指導者にもそれぞれの強みがあり、「ここは頼むぞ」というようにお互いに補いながら戦っていけるチームは本当に強いと思います。
髙橋 自分自身を振り返って課題を見つけてトライし、その失敗をまた振り返って成長できるように努力できることが大切ですね。そのためにも子どもたちに関わるわれわれの声掛けや伴走も非常に重要になるわけですから、学校全体あるいは社会全体で子どもたちをともに見守っていきましょうということになるかと思います。
テーマ2:子どもたちの特性を伸ばすために必要な視点とアプローチ
【パネリスト】
風間八宏氏(セレッソ大阪アカデミー 技術委員長)
長谷川大先生(山梨学院高等学校 サッカー部 監督)
井上志音先生(灘中学校・灘高等学校 国語科教諭)
髙橋一也先生(神田外語大学 客員講師、IGS株式会社 研究員)
パネル・ディスカッションの様子:上段左から髙橋一也先生、風間八宏氏、下段左から井上志音先生、長谷川大先生
指導を理解し体現する素直さも大切
髙橋 風間さんはご著書でも、指導者には伝える言葉の力が必要だとおっしゃっていますが、その力はどのように伸ばせばいいでしょうか。
風間 大きく分けて二つあると思います。一つは、絶対のものを伝えること。もう一つは、言葉を徹底的に噛み砕いて、その定義を明確にすることです。例えば、「ボールを止める」と言っても、個々の選手の能力や技術によって、意味合いが違ってきますから、「ボールを止める」とはどういう動作をいうのか、指導者はその定義をしっかりと示す必要があります。そのためには、指導者はすべての要素を頭の中で整理できていなければならないし、そうしてはじめて人に伝えることができるのだと考えています。
髙橋 サッカーはメンタルのスポーツでもあると思うのですが、メンタルについては、どのようにお考えになっていますか。
風間 安易にメンタルと言いがちですが、メンタルというのも抽象的な言葉なので、なぜ悩んでいるかを文字にすることによって頭の中を整理する必要があります。人のせいや物のせいにすることなく、今、自分で解決できることは何かを突き詰めて考えるべきで、そうした行動を通して自分の喜怒哀楽もコントロールできるようになります。子どもたちに、まず、メンタルという言葉を投げ掛けると、色々な要素があるから迷ってしまう。抽象的な言葉は教育や育成を行う上で邪魔になることがあります。何を悩んでいるのか、それを明確にさせる、考え方を伝えてあげることが大切ではないでしょうか。
髙橋 自分で考えてプレーする選手になるために、必要なことは何でしょうか。
風間 一つは選手の資質。それと、もう一つは環境です。環境が選手を育てるというのは間違いないことです。サッカーでは、みんなが同じ練習をしますが、その中でも、自分の目標が明確で、こういう選手になりたいんだと考えている選手は、みんなと同じ練習以外にも色々なことをやります。そして、指導者に言われたことを受け入れる素直さも非常に大切です。受け入れるとは、返事をするだけでなく、指導者の言葉の意味を頭でしっかりと理解できて、さらに、それを体現するということです。自分には足りないものがあると思えば、そういう選手は自分で取り組みます。そういう素直さというのは、重要な資質の一つかもしれません。素直さと合わせて、勝ちたいという気持ちが溢れて反発する選手は熱量があるということなので、止めないで走らせる、一つ上の課題を与えるということが重要かと思います。
井上 灘校にも、素直さを持ちながら歯向かってくる生徒が多いです。歯向かわれたときに、いかに適切なタイミングで助言したり、能力に見合った課題や問題を与えたりすることができるか。ここが教員の腕の見せどころではないかと思っています。
長谷川 生徒には反発はダメだけど反骨は大事だとよく言っています。指導者が歯向かってくる生徒たちの反発を反骨に変えるようにコントロールすることができれば、プラスの力に変えることができます。歯向かってくるパワーのある生徒ほど、実は、本番で力を発揮してくれたりしますから、そういう力を引き出すことも大切かなと考えています。
髙橋 多様性の中で育てるということが重要で、子どもの教育においても、さまざまな能力を持っている子どもたちと共に成長しましょうということになるかと思います。
編集・執筆:株式会社REGION