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2021.09.08

【セミナーレポート】第7回生徒の資質・能力の育成とその適切な評価の実現に向けて〜生徒の特性を伸ばし、生きて働く資質・能力を育む教育の在り方〜

セミナーレポート

生徒の特性を伸ばしながら生涯学習や学校での学びを実社会へと繋げる観点での評価は、さらに加速していくと予測されます。これに伴って、デザイン思考や探究という学びやアプローチが学校の教育現場に広まる一方、生徒の資質・能力の評価は極めて難しく、先生個々人の主観に頼らざるを得ないのが現状です。今回のセミナーでは、教育哲学・学習理論実践・教育政策という3つの視点から、これからの学習評価の在り方について、パネル・ディスカッションで語りあっていただきました。

【パネリスト】

苫野一徳先生(哲学者・教育学者、熊本大学教育学部 准教授)

早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学) 著書に『どのような教育が「よい」教育か』(講談社)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『教育の力 』(講談社現代新書)、『「自由」はいかに可能か』(NHK出版)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『はじめての哲学的思考』(筑摩書房)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『ほんとうの道徳』(トランスビュー)、『愛』(講談社現代新書)、『NHK100de名著 苫野一徳特別授業 ルソー「社会契約論」』(NHK出版)などがある。

山下洋輔先生(柏市議会議員、柏まちなかカレッジ学長)

高校教諭、教育学研究と地域活動を通して、教育は、学校だけの課題ではなく、家庭・地域・社会と学校が支えあっていくべきものと痛感。2011年9月より、柏市議会議員として、「教育のまち」を目指し、議会から働き掛けている(現在3期目)。学校だけでなく、一生学び続けられるまちを目指し、柏まちなかカレッジやバスケットボール、保護司やパトロールなどの活動にも取り組む。千葉県立東葛飾高等学校卒。早稲田大学教育学部卒。同大学院修士課程修了後、土浦日本大学高等学校にて教諭。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程を単位取得後退学。算数・数学に特化したオンライン学習塾「算楽塾」代表。図書館司書資格。20209月から柏市監査委員。著書に『地域の力を引き出す学びの方程式』(水曜社)がある。

髙橋一也先生(神田外語大学 言語メディア教育研究センター 客員講師)

神田外語大学言語メディア教育研究センター客員講師(常勤)。慶應義塾大学大学院、米・ジョージア大学大学院でインストラクショナルデザインを研究(全米優等生協会選出)、蘭・ユトレヒト大学大学院で認知心理学を学ぶ。2008年より都内の私立学校の英語教諭として勤務し、2016年度より中学教頭を務める。2016年には日本人として初めてグローバル・ティーチャー賞の最終候補に選出される。現在、日本全国の学校で授業力向上の支援にも力を入れている。

 

ご講演の様子0731パネル・ディスカッションの様子:画面左から髙橋一也先生、山下洋輔先生、苫野一徳先生

 

文脈依存性の強い「資質・能力」

髙橋 「学力の三要素」が学習指導要領に取り入れられてきて、主体性や判断力が問われるようになり、学校の教育現場では今までの学力のように「資質・能力」はトレーニングで伸ばせるものなのではないかという捉え方もあるようです。まず、資質・能力について、苫野先生からお話しをいただけますか。

苫野 資質・能力の観点は大事ですが、「網羅的に伸ばす」という方向性はちょっと違うのではないかという気がします。教師の資質・能力についての考え方をブラッシュアップした方が良いと考えています。教師はどうしても個人ベースで考えがちですが、どういう集団にいるか、あるいは、どういう環境にあるかによって、資質・能力はまるで変わってきます。そのことを根源的に理解すべきです。

私は哲学徒ですが、哲学徒としての能力が最大限に発揮される仲間とのコミュニティがある一方で、それ以外の大学の会議や事務など別のコミュニティに入れられると、途端に単なる無能となってしまいます。したがって、どういう状況で自分の資質・能力が発揮されるかを知ることが大事なんです。ニュートラルな環境の中で、自分の資質・能力が一様に発揮されるわけではありません。

私のゼミには長い間、不登校の中学生や高校生も参加していましたが、彼らは自分の学校では能力をほとんど発揮できずに浮いてしまうと言っていたのに、私のゼミに来たらものすごく生き生きとして、むしろゼミを率いるくらいでした。彼らは哲学的な感度が高いために、中学や高校のクラスでは浮くかもしれないが、ゼミに来たら大学生すらリードしてくれるくらいの力を発揮するわけです。つまり、自分がもっとも居心地良く、もっとも力を発揮できる場所はどういう環境なのかということを子どもたちが存分に知る機会がたくさんあった方がいい。その意味で、さまざまな人と色々な経験をして「自分ってこういうシチュエーションでこういう能力を発揮できるぞ」と実感できるような機会を数多くつくっていくことができたらと思います。

髙橋 面白い話ですね。資質・能力という言葉を聞くと、大体、いつでもどこでも同じような資質・能力を持っていると思ってしまいますが、実は、資質・能力というのは文脈依存性が強く、特定のシチュエーションじゃないとそれが発揮されないということもあるわけですね。「僕は、こういう場所だったら、こういう風にできるな」と、自分の強みを自覚すると同時に、苦手分野も分かってくると、自分自身を見る目も変わってくると思います。学校の中でも異なる学年や別々のクラスをミックスしたりすることが、資質・能力を見出すためのヒントや手掛かりになったりするような気もします。

苫野 教師も資質・能力の文脈依存性を知っていると、今、ここでは活躍できないかもしれないけど、違う面もあるかもしれないと考えることができます。教師の頭の中で、いつも、そういうことが意識されているのと、そうじゃないのとでは、子どもを見る目が全然違ってくるはずです。私はいつも、「自由になるための力と自由の相互承認の感度を育むのが教育の一番の本質」と言っていますが、予め決まっている資質・能力のリストに合わせるのではなく、その子にとって自由とその相互承認の感度を育むためにどうすればいいかというのが判断の順番であるのかなと考えています。

バリューの発見こそが評価の本質

髙橋 柏まちなかカレッジについて、山下先生から説明していただけますか。

山下 柏まちなかカレッジは、地域全体を学校にするというコンセプトで、学校の外でも学び続けられる環境づくりを進めながら、さまざまな人々と色々な経験をすることができる文化を地域に根付かせることを目指して10年くらい続けてきており、500回くらいのプログラムにのべ約4000人が参加しています。地域の社会資本や自然環境など色々なものをリンクさせたり、姉妹都市のネットワークなども利用したりしながら、多様な活動を展開してきました。子どもの人口の減少が続く中で、地域が学校を支えるという形にもなってきていると思います。

この経験が、私の教育政策にも活かされています。子どもたちが減っていっても、学校そのものは廃校にしないで、クラスが減った分を地域に開放して、行政の窓口や地域食堂、オフィスとして活用したり、コンビニエンスストアなどを誘致したりするというようなこともできるのではないかと考えています。

私自身も、柏市議会議員や柏まちなかカレッジの学長という立場から、地域としてどういうことができるかということを考えています。学校の目標などは「自由の相互承認」の感度を育むというようなテーマもあり、それらをいかにすべきか、どういう風に取り組んでいくか、といったことを社会全体でどう理解していくかを心掛けて活動してきています。今までのお話を聞かせていただいて「資質・能力」ということについても、学校や教育現場だけでなく地域コミュニティや社会集団にも関わりがあるということをしみじみと感じています。

髙橋 「資質・能力」の評価について、苫野先生は、どのようにお考えになりますか。

苫野 評価と評定の概念が違うことは、教育関係者なら理解しているはずではありますが、私は、「義務教育においては評定はいらない」とずっと言っています。評価というのは、さまざまなアセスメントを通したエバリュエーションと考えると、エバリュエーションにはバリューという言葉が入っていて、つまり、あなたにはこんな価値があるんだよ、あなたの価値はこうだよねっていうバリューを色々な観点から見出しあっていく、それが教育における評価の本質だと思います。でも、その価値は、教師一人で分かるものでもないし、専門家が見るバリュー、仲間が見るバリュー、保護者が見るバリューもまったく違います。そういったものを、さまざまな観点からのフィードバックを通じて行うエバリュエーション、それこそが教育の評価の本質ではないだろうかと考えています。

髙橋 あくまでも、多面的な評価が必要ということがポイントだと思います。探究活動や修学旅行などの課題活動と座学との評価軸が一緒ではなく、学校の中で統一された評価指標がないんです。評価のために何か指標を入れなければいけませんけれども、その指標を入れるのに、実は、なかなか動き出せていません。これは技術論になってしまうわけですが、管理職の多くは「この指標は本当に信用できるのか」「前例がない」ということを言いがちです。

山下 前例がないと動かないというのは行政全般に言えることかもしれません。地方自治体の行政においては、教育委員会の行政職員の多くは学校から出向されている先生方です。教育現場で、子どもたちや保護者・地域と接してこられた先生方こそが、行政全体の前例主義を変えていただくことができるのではないかと期待しています。もちろん、私たち議会からの働きかけや市民の声も、前例主義を変えていくためには必要です。

それから、評価の指標をつくるのが難しいということについては、学習指導要領を基本に、地域特性を加味した評価指標の案を教育委員会が示し、その案を教職員や児童生徒、保護者や地域と話し合い、作り上げていくことが、研修となり、自由とその相互承認の感度を育む学びとなると考えます。

相互承認のディスカッション促す

髙橋 ルーブリクス評価を先生が作成しても、先生の主観が入ってしまうことは否めず、評価については客観性への憧れもあるわけですが、評価の客観性について、苫野先生いかがですか。

苫野 哲学的に言うと、客観性なるものは存在し得ないです。哲学では、「相互主観的な共同確信」といいますが、絶対的に客観的なものがあるわけじゃなく、色々な主観的な見方を持ち寄った時に、共通了解されてくる共同的な確信ということなんです。その点、360°評価(相互評価)を取り入れた「Ai GROW」は、画期的だと感じました。生徒のアセスメントをしてバリューを見出していくための有効なツールになり得ると思います。

髙橋 評価をすることによって相互承認のディスカッションが開かれていくと思いますし、別に指標自体は何でもいいわけですが、「Ai GROW」という指標を入れることで、それを基に先生同士がお互いに生徒への見方についてディスカッションが広がるなら、それは重要なことですし、そういうディスカッションを通じて学校も変わっていくかもしれません。 

苫野 評価を他人の手だけに握らせないというのは大事で、生徒の主権というか、自分も積極的に関わっていくという姿勢が子どもたちに保証されていてほしいと思います。例えば、「Ai GROW」で出てきた結果を見て、それが全てということではなく、それを材料にしてディスカッションを行い、生徒も含めて話し合いを広げていければ、相互主観的な対話を促すツールとして「Ai GROW」の有用性はさらに高まるのではないかと考えます。

山下 今後の「Ai GROW」について、例えば、今は学校内部の指標としてだけでなく、自治体全体の地域特性や社会資源の活用状況など、その地域に根差した観点もの加えていただければ、教育政策の評価にもつなげていけると思います。

髙橋 学習環境デザインにも関わってきますが、居場所づくりというのは非常に重要です。それも資質・能力につながっていくわけで、この学校はこういう子どもたちを育てたいから、こういう指標を入れて、そのためには、こういう学習環境をつくっていかなければいけないということになってくると思います。

山下 地域とのつながりで、学び合える環境をつくっていこうというのも大切な話です。そのためには行政のバックアップも必要です。大阪府茨木市の「一人も見捨てへん」教育では、学校毎の特性に合わせて予算を配分して必要な支援を行い、学校の教育だけでなく、スクールソーシャルワーカーなどを設置し、家庭への支援とか、地域への支援まで広げており、その茨木市の取り組みを柏市は視察して、柏市で「学びづくりフロンティアプロジェクト」を展開しました。

苫野 今は、学校外の教育機会へのアクセス格差というものが現実にあります。かつては、学校が教育を独占して良くも悪くも子どもたちを囲い込み、無理やりにでも教育の機会を確保していたが、そのモデルはすでに崩壊しました。ですから、さまざまな学びのネットワークを公教育として再ネットワーク化し、みんなに分配していく必要があり、その再ネットワーク化と適正配分が行政の大事な仕事です。

髙橋 学力にとどまらず、これからはウェルビーイングなども含めて評価されるようになり、もっとも重要なポイントとして、資質・能力というのはあくまでも文脈依存であるわけですから、その時々に応じて、子どもたちがどうすれば一番幸せになって伸びていくかということを学校や地域全体で共有するような文化をつくっていきましょうということが結論になるのだろうと思います。

 

編集・執筆:株式会社REGION