近畿大学附属中学校で総合学習をリードする片木真也先生は、前身の「教育改革推進室」を一人で担った時期から、総合的な学びの核を「数値としての答えが出ない人間性の成長をどう評価し、どう定着させるか」に置いてきました。学校には「『人に愛される人、信頼される人、尊敬される人』になろう」という校訓があり、さらに時代に合わせて掲げたスクール・ポリシーがあります。しかし、それらは標榜されながらも、日常の指導や子どもの振る舞いと地続きで語られにくい。「教室に貼って終わり」になりがちな「標語」を、子どもが自分の言葉で捉え直す「行動基準」へと転じたい。そこに、コンピテンシー評価ツール「Ai GROW」を接続したのが片木先生の挑戦でした。
「Ai GROW」との出会いは2024年の教育イベント。当時、「総合」の評価に関する課題を解くヒントを探していた片木先生にとって、非認知の力を項目立てし、自己だけでなく他者の視点でも見取り、その測定を継続的に返す「Ai GROW」の設計に可能性を見い出したそうです。学校が目指すべき生徒像から14のコンピテンシーを結び、各コンピテンシーに日常のキーワードを紐付けて、授業での指導だけでなく、廊下の掲示や休み時間の声掛けまでを一貫された「言語」でつなぐ。国語科の教員でありながら総合の設計者として、片木先生は「生徒が『自分の言葉』でコンピテンシーを語れる状態」をゴールに据え、「Ai GROW」を「一つの測定基準」であると同時に「共通言語を流通させる媒体」として位置付けました。
ここで強調したいのは、「Ai GROW」の利用が目的化されていない点です。片木先生は「いい子に育てるより、いい親(大人)になれる素地を育てる」という教育観を大切にしています。成長のタイミングは十人十色で、即効性は必須ではない。だからこそ、スクール・ポリシーとコンピテンシーを日々の生活文脈に落とす「言語化」が先にあり、その「言語化」を可能にするための可視化と対話のツールとして「Ai GROW」を活用するという考え方です。
導入初年度は中学1・2年を中心に運用し、1学期に気質傾向(BIG5)の診断結果を返却、夏以降に初の相互評価を実施しました。受検結果の返却直後、片木先生は生徒同士の会話から「感情コントロール」や「疑う力」などのコンピテンシーの用語が自然に出てくる場面に出会ったと言います。もちろん、すぐに全員が変わるわけではないものの、生徒の意識に少しコンピテンシーが入り込み始めていることを感じたそうです。日常での声掛けも、従来の注意から「コンピテンシーの言葉」へと置き換えます。たとえば「チャイムで座れ」ではなく「感情(の切り替え)コントロールをしよう」、授業では「人の話を聞くときは端末をしまう=傾聴の態度」と具体の行為に通訳する。言葉が具体に触れた瞬間、スクール・ポリシーは標語から行動規範に変わります。
▲スクール・ポリシーとそれに紐付くコンピテンシーの定着を促す廊下の掲示。コンピテンシーの定義だけでなく片木先生のメッセージも添えられている。
一方で、評価の現実にも正面から向き合います。中学生は無難な回答に寄りがちで、とりわけ締め切り直前に促されて解答する場面では「丸く収まる自己評価」が混じる。それでも片木先生は、「Ai GROW」の価値を「結果の上げ下げ」より「意識化のスイッチ」に置いています。ポスターを掲示し、用語で語り、返却で振り返る。測定値が上がるかどうかは二次的で、まずは「学校が求める人物像」を自分の言葉で扱えることが大切だと片木先生は考えています。さらに興味深い示唆として、先生が厳しく求め続けている領域ほど、生徒の自己・相互評価は相対的に低く出る傾向があることが見えてきました。
実は「Ai GROW」においては、他校でも「その学校が大事にしている、強みと考えている領域」に関連するコンピテンシーが想定以上に低く出ることがあります。これについて片木先生は「求められる基準を知るほどハードルは上がり、『できていない』と認識する感度が上がる─まさに『意識化の副作用』ではないか」と考え、片木先生はこれをむしろ良い現象と見ていたことが印象的でした。
結果の返却も価値観に添っています。生徒には自分の強み中心に返し、数値の序列感をあおらない。一方で学年・学級の傾向は教員が把握し、生活指導の場面でも「『Ai GROW』的観点」(たとえば感情コントロール)に翻訳して語る。問題行動の議論も「行為のラベル貼り」では終えず、育てたい力に結び付ける。こうして「Ai GROW」は、点検表やテストではなく、日々の会話を変える「参照辞書」として機能し始めています。
片木先生の実践の土台には、長年続けてきた「毎日の言葉の投錨(いかり)」があります。担任時代、ホームルームで必ず一話、A4一枚の「通信」を書き、積み重ねてきたメッセージを記録として残す。そこに「Ai GROW」を重ねたとき、散在していた「善き語り」がコンピテンシーとつながり、教員同士の共有・再利用ができる形が整いました。「非認知」と総称される漠然とした領域に、学校としての軸を通す。その先に掲示の言葉も、集会での講話も、休み時間の声掛けも同じ文脈で使われるようになる。そんな未来を描いているそうです。
こうした変化を受けた来年度に向けた構想は「具体化」だと片木先生は考えます。月例の学年・全校集会に「今月のコンピテンシー強化月間」を設け、各教員が自分の言葉で語れるステージをつくる。たとえば「協働」「主体性」「自己調整」……定義は共通でも、それを伝えるための語りはさまざまでよい。片木先生は「私一人の語りより、先生方の語りが集まる方が力になる」と言い切ります。授業の始めや終わり、クラブや委員会のふり返りでも、その月のキーワードで自己・相互評価を差し挟む。そうして「生活のメタ認知」を習慣化する。
また、学年・コース間の浸透差にも手を打っています。片木先生が常駐する中学校舎2階の選択教室周辺では、休み時間の廊下指導まで共通言語で語り掛けて回り、「切り替えよう」「今は傾聴だよ」といった合図が通じるようになってきています。一方、3・4階のクラスはまだ用語の露出が少ない。ここに集会や掲示、教員向けの小レポート(1学期終わりに発行)で言葉の供給を増やし、校内の温度のムラを均していく計画です。
一方で、「Ai GROW」を通じた評価の読み解きには引き続き、慎重に取り組んでいくと片木先生は言います。先述の通り「厳しく指導している領域が低く出る」現象を「矛盾」ではなく「自己基準の高度化」と説明し、学年団に安心してもらう。こうした「数値の意味付け」を含めて運用していくことで、「Ai GROW」は学校経営レベルの共通言語となっていくのではないか、と片木先生は期待しています。目的は偏差値の上乗せではなく、スクール・ポリシーの実体化。進学実績志向の波に飲み込まれず、校訓とポリシーを日々に接続することの両輪を回すために、コンピテンシーを生かしていく方針です。
片木先生は、自身のこれまでの語りや通信が観念的に受け取られ、ときに「宗教っぽい」とさえ言われたことがあると率直に語ります。だからこそ、「『Ai GROW』は科学だ」と言い切れることの意味が大きい、と片木先生は考えています。定義された能力項目、自己・他者の複眼、継続測定という「枠」があるから、同じ語りでも広げやすい。先生個人の主観ではなく、学校が合意したコンピテンシーとして語れる。外部に開くときも、「スクール・ポリシーを何で・どう伸ばしたのか」を説明できる。片木先生にとって「Ai GROW」は「希望の光」であり、「どうしていいか分からなかった部分のコンパス」「自分が育てたかった力に名前を与えてくれた辞書」なのです。
ただし、数字を追うための道具にはしません。意識すればするほど基準が上がり、自己評価は厳しくなる可能性がある。だからこそ、下がることを恐れず、むしろ「多面的に見られる力」を育てたいと語る片木先生。生徒へのフィードバックは強み中心に、変化の比較は教員が受けもつ。そして最終目的は、卒業後に芽が出ればよい。「目の前で結果を出させても意味は薄い。彼らが親や指導者になるときに循環する力が育てばいい」と考える片木先生にとって、「Ai GROW」は、今を数値化しながら「未来に効く言葉」を校内に撒き続ける役割も担っているのかもしれません。
今後の伸ばしどころは二つあります。
第一に、教員一人ひとりが自分の言葉でコンピテンシーを語れるようになってもらうこと。前述の通り、定義は共通、語りは多様でよい。この「共通辞書×多様な語り」が、最終的にスクール・ポリシーを「学校文化」に変えるはずです。第二に、生徒自身が「Ai GROW」の結果を、自分の活動・経験と言語化で紐付ける場の設計です。たとえば、掲示やポートフォリオに「この力を伸ばすために取り組んだこと」の短い記述を重ね、自己物語として保存する。将来の面談・進路選択で、コンピテンシーが「自分のOS」として機能する形にまで育てたいと片木先生は考えています。
最後に、校外への波及です。大阪では進学実績志向が根強い一方、東京圏の私学ではスクール・ポリシーを基軸に教育内容を提示する流れが強まっています。片木先生は「この実践が外にも広がれば、非認知の育ちを言語化して共有する文化ができる」と期待を語ります。「僕の仕事は種まきです。いつ芽が出るかはそれぞれでいい。大切なのは『ポリシーを意識した時間』が続いていること」。スクール・ポリシーを生徒の言葉に移し変え、日々の行為へ接続する。その地道な往復運動が、近畿大学附属中学校で確かな手触りをもち始めています。