▲齋藤浩司先生(一般社団法人とえはたえ代表理事、不登校児童生徒学習支援 菊名和み塾 塾長)
齋藤先生が、最後の在籍校となる横浜市立鴨居中学校に校長として赴任したのは、2018年のことでした。
「当初はどこにでもあるような学校で、不登校に関しても部屋はあるけれども、より組織的な対応をしたかった」と齋藤先生は当時を振り返ります。
このような考えから、登校しぶりの生徒や、学習面で取り残されている生徒に、組織として丁寧に当たれるよう立ち上げたのが 「和(なご)みルーム 」でした。据えた柱は「環境整備」と「組織化」、そして「マインドセット」の3つ。その推進に当たっては経済産業省の「未来の教室」実証事業に手を挙げ、民間の協力を得ながら支援員という形で大人を配置しました。一番多い時期には12〜13名が所属し、教室で授業を受けてから「和(なご)みルーム」に戻ってくる生徒や、その逆の生徒もいたそうです。
齋藤先生は、現在、学校の外から同じテーマに向き合っています。37年間務めた横浜市を退職後、地元に不登校支援の塾をつくり、無償での学習支援事業を展開。立ち上げ時には周辺の各校長へ理念を伝えて回り、毎月の活動報告を送ることで、生徒の出席認定にもつなげました。特徴的なのは、そこが「唯一の居場所」として設計されていないことです。
「私のところに来るお子さんは、1週間の中で2つ3つ(行き先を)掛け持ちしているんです。勉強するときはうち、お手伝いするときはそこの居場所、生徒同士で遊ぶときはこの居場所みたいに、曜日ごとにスケジュールが決まっています」
半径2〜3キロの範囲に子どもの居場所が3つほどあり、連携する居場所とは合同の会議をもって、他の居場所についても出席認定を学校へお願いしているそうです。
齋藤先生には横浜市教育委員会事務局での指導主事時代の経験から心に留めていることがあります。それは「どこか心の隅の中で、在籍していれば子どもたちは『私たちのもの』だっていう、そういう欲というか純粋な気持ちがあるということ」。だからこそ、不登校や相談のあった生徒には、こう伝え続けてきたといいます。
「あなたが鴨居中学校に入学した以上、地球の裏側まで追い求めるから、という意識で。どんな形であれ『ちょっかい』を出すよ。いつでも、どこでも勉強・学習はできるし、相談もできるよ、関わりをもつから安心してね」
それは、教室に戻すということではありません。「和(なご)みルーム」は、子どもを教室に戻すことを目的にも目標にもしていません。取り組んだ結果として学校に戻ってきた、ということを美談として語る風潮が世の中にありますが、齋藤先生の設計はそこにはありませんでした。
「学校に来る・来ないという次元ではなくて、もう丸ごと抱えて一緒に頑張ろうっていうメッセージをずっと伝え続けていたので、その延長だと思います」
「地球の裏側まで追い求める」のは、生徒本人との「関わり」。通常の教室でも、支援のための部屋でも、あるいは家であっても、在籍している生徒であることは変わらない。だから安心していい。そういう意味の言葉です。
そうして齋藤先生が「和(なご)みルーム 」を運営している中、コロナ禍がやってきます。ただ、コロナ禍は教員側にある変化をもたらしたと齋藤先生は言います。コロナ禍により、それまで生徒たちの見えづらかったものが見えるようになった部分が確かにあるのに、それを受け止める先生側の変化が追いついていないのでは、という指摘です。
「多くの学校は、先生方の見取りとか感覚に頼っていた部分がある。データなどに基づいた取り組みが限られていたわけですよね。コロナによって、そういうものとクロスされて余計わからなくなってきた。結果、どうしても後追いになってきている」
横浜市を退職し、新たに立ち上げた齋藤先生の塾に通う子どもたち(小中学生混合)には、ある共通点があるそうです。集団が苦手、担任の先生の大きな声が苦手、5人以上での協働が苦手。学校の人数や教室の環境で感覚が過敏になっていた子どもたちで、腹痛などの身体症状に出やすい、といった部分です。
その子たちの「いま」を、齋藤先生はこう描写します。ある日は4時間ほど遊び尽くし、翌日の午前は勉強し、その次の日の午後は学校へ登校して担任と面談する。大人並みのスケジュールを、自分の入りやすいところ、楽しいところから組み立てている。その中で突破力が出てきて、エネルギーがたまってくる。人との間で喧嘩もすれば仲良くもなるという経験値も増える。
特に顕著なのは発話だそうです。自分で決めることが多いので自問するようになり、問い掛けに対しても考えるようになる。1年ほど前からは、塾の中で「答えのない哲学的な対話」や「みんなでナゾナゾを作る」、「時事のネタで討論する」といった活動にも取り組んでおり、小学校4年ぐらいの子どもでも、だいぶ語れるようになってきたそうです。「教室の中では埋もれがちな、または言い出しにくいようなことも、小さい環境とか、そういうところでは非常に発露しやすくなっていますね」と齋藤先生は言います。
ただ、ではそれを裏づける記録があるか、と言われると「現時点では特にテクノロジー使ったシステムは入れてない。ボランティアさんとの振り返りの内容を言語化するぐらいですね。来る曜日と来ない曜日がある、時間より早く来る子がいたり、逆に遅刻したりする子がいる。そうしたことを手掛かりに、日々の判断をしている。いまは本当に見取り、感覚でしかないのです」
変化は確かに起きているのに、それを説明する言葉と数字が手元にない。この課題に対して齋藤先生は、今まさに、子どもたちの変化や伸びている力を測定するための仕組みやツールの導入を検討されているそうです。さまざまなツールを比較したり、資料を取り寄せたりしているとのことですが、慎重にこの部分を進めているのには理由がありました。
齋藤先生は、教員時代の経験を踏まえて、安易に測る道具を用いることに対する警戒を、はっきりと口にされていました。
学級などの満足度を尺度で測る調査は、すでに30年ほど前からあります。こうした仕組みは過去に何度もバージョンアップを重ね、今日に至っています。しかし齋藤先生は、ひとつのスケールに当てはめて出てきた結果が、いまの子どもの状況に合っているのかという疑問を持ち続けてこられました。それは「切り取った一瞬の風向き」にすぎないのではないか。そして、いちばん恐ろしいこととして
「グラフを見るだけで……ラベリングにつながってしまうことがある」
という課題を指摘します。ある一面的な部分だけを、児童・生徒の自己申告で取る方式が、ときにこのようなリスクを内包することがある。とはいえ齋藤先生は「だからやめた方がいい」とは考えておらず、こうした課題は紙のアンケートを月に1回やっていた時代にもあったことを踏まえてこう仰っています。
「もし調査をするのであれば、どういう観点でどういう運用をするか、ことあるごとにしっかりと示して、意識付けした方がよい」
つまり、測ること自体が問題なのではなく、何のために測り、出てきた結果をどう扱うのかを実施する側が言葉にして、繰り返し示せているかどうか。それが子どもを助ける計測と、子どもにラベルを張って終わる計測とを分けます。世の計測の少なからぬ部分は、この作法を欠いたまま、数字だけが独り歩きしている。齋藤先生の警戒はそこに向けられていました。
作法をともなった計測の例として齋藤先生が挙げられたのが、横浜市の学校での取り組みです。学力と生活面のクロス集計を、平均値を出すためではなく、「その子がどう伸びたかとか、どう変容したかという観点で作り変えた」。同じ数字を集めても、平均を出すのか、一人の子どもの変化を追うのかで、まったく別のものになります。
ただ、そのうえで齋藤先生は、こうも付け加えました。「それを分析したり活用したりする時間があるのかないのかも、見極める必要がありますね」
では、齋藤先生は子どもの内面や行動の面を数値で捉えることにどのような意味を見ているのでしょうか。これについて齋藤先生は以下の3つの意味を挙げられました。
1つめは、担任個人の主観に依存しない客観性が担保できること。2つめは、教員の経験差をならせることです。「教員にも年齢や経験の差があります。つまり感覚の差もあるということ。その差をよい意味で平らにできるといい」。3つめは、共通言語が得られること。「教員間、教員や学校の中だけではなく、保護者や地域との共通言語になるのではないか」。自治体で小学校と中学校で一緒にデータを取れば、6年、9年という単位で一人の子どものデータが蓄積され、追えるようになる。それは「家庭や地域の安心材料になるはず」とも続けられました。
そのうえで齋藤先生は、不登校や登校しぶりの子どもへのアセスメントやアプローチの方策は、結果として増えていくのではないかと見ています。「普段見逃されている普通の子、いわゆる手がかからないお子さんにも目が届き、安心安全や自己肯定感が増えていく様子が見えてくるのではないか」
この順序が逆だと成立しない、というのも重要です。予兆を狙って探しに行くのが先なのではなく、子どもたち全員の状態を「同じ言語」で見えている状態をまずつくる。それが齋藤先生の整理でした。
齋藤先生が可視化に可能性を見ている理由は、ツールの性能ではなく、その手前にある構造の部分でした。
「情報収集とか感覚的なものは、直接関わる担任などの教員の目、または経験が入り口なんですよね」
学校全体としての取り組みが前面に出るのは、もう少し後の段階です。入り口が一人の先生の目と経験にしかなく、客観視があまりされないまま進むと、ときに「最初のボタンの掛け違いが、あとで大きな問題になったりする」と先生はご自身の経験を振り返ります。その上で、
「内面であっても何らかの形で数字で出せる、または図式化できるのは、強みになると思います。さらに、それをどう分析するかという思いやそれを実行する力が先生方に蓄えられることで、教育力全体が上がるのではないか」
つまり齋藤先生が本丸と見ているのは、その先──出てきた数字を読み、意味を取り出し、次の一手に変える力を、先生方一人ひとりがもつことです。それができるようになると、多様な視点や客観的な視点が身につき、何より「自分のぼやっとした感覚や思いが、正確に言語化できるようになる」。
では、その一歩をどう踏み出すか。導入のハードルとして挙げられたのは、前述の「分析する時間があるのかないのか」というお話でも触れられた通り、新しいものを入れるときの労力、研修の時間が確保しづらいという実態。あるいは学校のネットワークが遮断されていて正規の手続きでは時間がかかるという実務上の壁でした。それらを承知したうえで、齋藤先生は「こういうものを入れるとか、新しいシステムを入れる際には、戦略が必要だと思う」と言います。
学校長・管理職自身がまず理解すること。これを入れたら先どうなっていくかという成果と、不安要素。それらについて「心の中でQ&Aを作って、それをいろんな先生方、柱になる先生方と打ち合わせ・すり合わせをしていく。対抗勢力とか不安材料はどこにもあるので、それに対して説得力をもった備えをしていくことが大事」
齋藤先生にとって、新しいものを入れるとは、そういう仕事だということです。